小田原城を攻め落とした秀吉の戦略

小田原城を攻め落とした秀吉の戦略

天下統一を目指す豊臣秀吉は九州の島津氏を臣従させ、次の目標は関東で大勢力を誇る北条氏を帰服させることでした。

しかし、その北条氏政率いる小田原城は過去に上杉謙信や武田信玄の大軍がどれだけ攻めても落とせなかった難攻不落の堅城で有名でした。

北条氏政は秀吉に対しての抗戦を決断し、小田原城やその周辺の城の改修や兵糧の準備を行い準備万端でした。

一夜城と呼ばれる秀吉の構えた城

小田原城を攻め落とせば天下統一に大きく近づく秀吉はまず、小田原城から2km先の石垣山に陣を構える城を建てました。

この城が、一夜城と呼ばれるのは、秀吉が築城にあたり山頂の林の中に塀や櫓の骨組みを造り、白紙を張って白壁のように見せかけてわずか80日間で完成させたからです。

秀吉は、この城に淀君ら側室や千利休、能役者を呼び茶会を開いたり、天皇の勅使を迎えたりしました。

小田原城

難攻不落の城を戦わずして落とした秀吉

小田原城を落とすことが出来たのはある夜、一夜のうちに周囲の樹木を伐採し、それを見た小田原城中の将兵が驚き、戦意喪失したためと言われています。

黒田官兵衛は周囲の樹木を伐採した後に、丸腰で小田原城へ向かいました。そして北条氏政に「もし降伏したら命と土地を与える」と秀吉からの言葉を伝えました。

そうして北条氏政はその要求をのむことにし、秀吉は戦わずして小田原城を陥落させました。

小田原城の戦いは秀吉の戦略勝ちでしたが、 秀吉は北条氏政を切腹させて黒田官兵衛が恐るというエピソードも残っています。

現在、秀吉が一夜城を建てた地は国立公園区域および国指定史跡に指定されています。

また、小田原城では甲冑のレンタルもできるようなので、ぜひ機会があれば足を延ばしてみてください。